「CO2ガスの排出権取引」って何なんだろう?

「CO2ガスの排出権取引」って何なんだろう?
CO2売買っていうのは、国、自治体、企業などにCO2を排出できる権利が割り当てられてそれを上回ると下回るところに金を払って二酸化炭素=CO2排出権を買う、というなんとも奇天烈なムーブメントです。いま多いのが企業のビルが、エアコンやら窓ガラスやら蛍光灯やらを省エネ、熱効率の良い物に変えてCO2排出量を削減する努力をしているという、こういう感じですね。
wikipediaで排出取引
CO2排出量低減に向けての企業や国民に対する意識改革的な意味合いが強いのかも知れないけど、裏を返せば排出権さえ買えば割り当てられた排出量は守らなくても良い、っていう意味でもありますよね。結局金かい!?って思ってしまいました。努力しない企業=予算を使って最先端の設備に投資しない企業には罰金を、その反対の企業には金を払うということでしょうか。意味はわかるけど何か変です。

エコカー減税導入やETC週末1000円になった時も思ったけど、不況になってみんな車を買わなくなったり乗らなくなったりしたので景気を回復させるための政策なのは分かるんですが、本気でCO2を減らしたければそのままの方が良かったんじゃないですか……とか思ってしまいました。経済情勢を考えると不謹慎だとは思いますけどでもそう思ったんです。

エコを推奨する政治家や企業は多いですが必ず経済と対であって、便利になった生活の一部を「諦める」っていう話にはならないですよね。本気でCO2を減らそうと思うなら、エアコンは使わない、余分な車は手放す、飛行機になるべく乗らない、って単純に考えればいいんじゃないかと思うが、そんな事を言う人は希少種ですね。だから京都議定書なんて理想であって、本気で取り組む気は少ないと見ています。

僕もそこまでバカじゃないので自動車産業がこの数十年間日本経済を支えてきたのも分かっているしそのお陰で僕たちの生活は豊かになって楽しい暮らしを送れているのも理解しています。そして航空業界もいま大変なのも知っています。日本の技術者が燃料効率のよい車や飛行機を開発しそれで少しでも良くなれば良いと思っているし、JALにも再建して貰いたいと思っています。だから少しづつ変わっていければ良いと思っているのですが、資本主義経済は始まった瞬間から加速して成長し続けなければいけないから後退は出来ないということのようです。

便利な生活を何も「諦める」ことなくもっとお金を使って環境に良いことをする、という資本主義のスパイラルにはどこかむなしさを感じるってだけです。

僕はこの五年間くらい都内の移動は自転車を使っていますけど、自転車乗りならではの考えもあります。僕の場合は好きで自転車を選んでいるんですが結果的には車よりCO2の排出量は少ないはずでしょう。ただ呼吸しているだけでなく僕の肺は、トラックとかバスから出るクソまずいにおいの排気ガスのフィルターになっています。だから綺麗な二酸化炭素をはき出しています。そして、もう一つ思うことは、朝も夜も殆どの車は一人しか乗っていないんです。つまり何が言いたいかって、東京都内ほど公共機関の発達している場所はないと思うけど、人一人が移動する為だけに車に乗るのは絶対に大げさです。

それと毎日のように不愉快な思いをしているのでたまには言わせて貰いたいんですけど、自転車乗りは自動車の通行を妨げたり仕事の邪魔をしたいわけじゃなく謙虚に車道の左側端を走っているだけですよ。なのに幅寄せされたりクラクション鳴らされたりっていう肩身の狭い思いをいつまでしなきゃいけないの?って思うんです。金がないから自転車に乗っている訳じゃないのに、いまだに車に乗っている方が偉いって思っている人が居るんですね。仮にですよ、日本人一人一人にCO2排出権取引が割り当てられたとしたら、排気ガス出している車の運転手が自転車乗りに何かゆずっても良いんじゃないのかって思いますけどね。金よりむしろ、欲しいのは理解ですが。

けど人類一人に排出できるCO2排出量が決まっていて公平なら、おそらくニッポンジンなんかはアフリカやアジアの人たちから排出権を買うことになるんですかね。きっとそうですね。でもそんな風には絶対にならないですよね。だって先進国が勝手に決めているルールですからね。