巡礼、思い出しメモ。

六年ぶりの全国ツアー、歪曲巡礼を企画し始めたのは、確か去年の12月だったと思います。
その当時、周りの関係者の僕らを見る目というのは、期待半分、心配半分。人に会うたびに、ほんとに歪曲出るの?とか、いつ出るの?とか、厳しい意見としては、管理能力不足なんじゃないの?とか、アーティストに甘すぎるんじゃないか?とか、まぁどれも当たっているんですが、こっちだって遊んでいたわけじゃないんで。やっていない人はなんとでも言えるわけで。とにかく外を歩くのもめんどくさいなぁっていう時期でした。
とはいえ、そのころは歪曲の最後のレコーディングも終わっていなくて、リリース日も全く未定だったので、何言われても言い返すことも出来ズ。とにかく期限を決めないと終わらないし、目下の目標として六月のアルバムリリース、そして七月からの全国ツアー、というのを掲げて最後の制作作業に突入した訳です。Shing02は最後は鬼のように能力を発揮してアルバムを満足いく状態で終わらせてくれて、その後も休まずにライブのリハーサルや準備に取り組みました。だから、今度のツアーを成功させることは自分にとって最低の絶対条件だったわけで、言いだしっぺの責任としてそれなりに精神的プレッシャーもあったのです。
ツアーまでの準備期間は約六ヶ月。但し、四月と五月は制作が佳境だったため、殆どツアーの準備に手が回らなかったので、三月までに殆ど全てのスケジュールを決めておいて、残りの追加公演は、五月〜六月くらいに決まったと思います。
Shing02が最後に回った全国ツアーは前アルバム「400」リリース後の、「400 Tour -旋毛風モード-」で2002年の夏に行われました。その後、ランダムに小ツアーこそありましたが、特にラップの全国ツアーというのは六年間やっていませんでした。前回のツアーは相棒の三船さんが段取りしてくれて、僕は東京公演の制作だけ担当したのですが、今回は逆で、三船さんが東京(二回)と名古屋を段取ってくれて、僕がそれ以外を担当しました。
今回は、いままで行ったことのない場所にも会場の条件とかあまり問わず赴こうと思っていました。1MC+1DJスタイルと違い、今回の編成では生ドラムや場合によってキーボードが音的に大きなウエイトを占めていたので、出来ればライブハウスやそれに準ずる設備のある会場が好ましかったのですが、雰囲気や街の風土を尊重して、クラブも沢山回りました。それはそれで良い経験にもなりました。サウンドマンが居ないところもあったし、照明がないところもありました。それでもお客さんが全然居ない公演は一つも無かったです。それってスゲーって思いました。お金払って観にきてくれるなんて、凄いっすよ。今考えるとそれだけで感動しますね。
あと今回のツアーは殆どの公演を川口潤監督が撮影してくれました。ライブ映像だけでなく、移動風景などのオフショットやインタビューも沢山とってくれたので、その模様はいずれちゃんとした形になって世の中に発表されるでしょう。VECTOR OMEGAのサウンドトラックも企画中。川口さんからは、ツアー中に最低十回は温泉に連れて行ってください、と条件を出されていたのですが、三回しか行くことが出来ませんでした。でも僕は川口さんが居ないところで六回も行きました。そんなことで一生うらむとか言わないでくださいよー。今度埋め合わせするんで。
人の記憶って、僕だけかもしれないけど、良かったことはちゃんと覚えているけど、辛かったこととか嫌なことっていうのはすぐ忘れちゃうんですね。だから、雨に濡れて寒い思いしたとき次は雨具持って行こうって思っても、すぐに忘れてまた濡れて寒い思いしてしまう、、やっぱり晴れていて気持ちの良い天気の時のことしか覚えてないんですよね。こんな短いツアーの中で何度ずぶぬれになったことか! ありえねース。そんな昆虫程度のメモリーしかない僕ですが、皆さんの記憶に残るライブや作品を手がけていきたいという気はまだあるので、今後ともヨロシク。

長野JUNK BOXにて。