Interview with Junzo

12月7日にリリースされる「PEARL HARBOR / JAPONICA (10th Anniversary Edition)」の収録曲、"PEARL HARBOR (10th Anniversary Redux)" = "10周年的再発見"を手掛けた、ベイエリア在住日本人プロデューサー、Junzo(ジュンゾウ)君のインタビューを掲載します。


Interview with JUNZO (11.30.2007)


Q. こんにちは。Junzo君、よろしくおねがいします。
「よろしくおねがいします」


Q. 現在はベイエリアのどこに住んでいるのですか?
バークレーです」


Q. バークレーでは普段、何をしていますか?
「今は、UC バークレーの付属の学校で学生をしています」


Q. 出身地はどこですか?
「神奈川県の鎌倉市です」


Q. Junzo君と音楽との出会いはどのようなものでしたか?
「小さい頃から音の出るものが大好きでしたね。小学校5年生の時に音楽の授業でドラム担当でした」


Q. 小学校5年生でドラム担当とは、運命のようですね。
「そうかもしれないです。 けど、中学になってギターをひきはじめたんですけどね」


Q. それはロックに興味を持ったからですか?
「そうです。中学校で、ロックとかパンクとかそういう音が流行っていて、友達から教わってギターを始めました」


Q. その後はどうしていたんですか?
「バンドで楽器ばかりやってましたね。高校卒業前後くらいからファンクを聞き始めたのをきっかけに、ブラック・ミュージックに興味を持ちだして、東京の大学に入ってからはレゲエを聞くようになって、レコードを集め始めました。それと、大学時代の後半はジャムセッションにとりつかれて、地元の友達としょっちゅうスタジオに入っていました。
マイルス・デイヴィスのエレクトリック時代にかなりハマって、色々な楽器を皆で持ちよって、真似ごとのような事をしていましたね。僕はドラムやベース、シンセサイザーなどでセッションしていました」



Q. Hip Hopを聞き始めたのはいつ頃からですか?
「実は結構遅くて、本格的に聞き始めたのは20歳の頃です。2004年でした。ちょうどNasの『Illmatic』リリース10周年記念のリマスタリング版が発売されていて、それを聞いたのがきっかけで、Hip Hopにのめり込んでいきましたね」


Q. なるほど。バンド、ファンク、ジャムセッション、レゲエを経て、2004年に94年のHip Hopにはまって、その後、同じような音を探すのは難しくなかったですか?
「そうなんですよね。実際その頃の音を探すのは少し難しかったですね。けど、レコード・ジャケットの情報を頼りに、91~96年くらいの年代のレコードをひたすら集めていました」


Q. この時代で好きな曲ってどんな曲ですか? 2-3曲くらい教えてください。
「決めるのがかなり大変ですが、ぱっと思いついたのは、Eric B. & Rakim "Don't Sweat The Technique"、O.C. "Time's Up"、Jeru The Damaja "Come Clean"とかですね」


Q. やっぱりNew Yorkのラップが好きなんですね。
「本当に好きですね。もっともっと掘っていきたいです」


Q. 東京の大学を卒業して、ベイエリアに移住した理由というのはなんですか?
「子供の頃からアメリカにすごく興味があって、大学を卒業したらアメリカに行きたいと思っていました。ベイエリアを選んだのは、一度留学した経験もあったし、それで気に入ったからですね」


Q. ベイエリアには以前も住んだことがあったんですね?
「そうです。大学時代に、ヘイワードという所に少し住んでいました」


Q. New YorkのHip Hopが大好きなのに、移住先をベイエリアに決めたのは面白いですね。ベイエリアに住んでみて、ベイのHip Hopへの興味は湧きましたか?
「いまはまだ、そこまでベイのHip Hopには詳しくないのですが、そうですね、音も文化もNYとは違うし、これから生活していく中で色々と吸収していこうと思っています」


Q. Junzo君のMyspaceに、J-Liveのアカペラを使ったRemixが上がっていましたが、やっぱりインディペンデント・ヒップホップには特別な思いがありますか?
「ありますね。ものすごく音にパワーを感じるというか、アーティスト達が自分なりに好きなように表現しているところも惹かれる所ですね」


Q. 音作りを始めたのは、いつ頃(何年頃)からですか?
「MPCを手に入れたのが2005年の夏です。それまでは、バンドなどはやっていましたが、Hip Hopに関してはずっとリスナーでした。本格的にサンプラーを使ってビートを作り出したのは、2006年の春頃からですね」


Q. 本格的にビート作りに取り組みだしたのは何かきっかけがあったのですか?
「(きっかけは)DJ Krushを聴いて衝撃を受けたことです。」


Q. ビートを作るときはどんな機材を使っていますか?
「(サンプリングとシークエンスに)MPC1000と、たまに(音源として)Micro Korgを使います」


Q. え、じゃあ"Pearl Harbor (10th Anniversary Redux)"もMPC1000で作ったのですか?
「そうですよ」


Q. 見た目はおもちゃみたいですが、あなどれないですね。
「本当におもちゃみたいですけどね(笑)。今の所かなり満足しています」


Q. ネタはレコードからサンプリングしているんですか?
「そうです」


Q. Micro Korgは、"Pearl Harbor (10th Anniversary Redux)"でも使われていますか?
「ベースの音に使いました」


Q. パソコンは使用しないのですか?
「今までは全く使っていませんでした。最近、Pro Toolsを手に入れたので、これから覚えていくところです」


Q. shing02との制作作業は今回が初めてですよね?
「そうです。2006年に知り合ったときに、『MPC持っててビート作ってます』って話していて、その後に幾つかビートを聴いて貰いました。一緒に遊ぶようになったのは、2007年の5月にバークレーに引越してきてからで、知り合ってからは少しタイムラグがありました」


Q. それで、最近になって"Pearl Harbor"のリミックスを頼まれた訳ですね。
「そうですね。何の脈絡もなく、突然でしたね」


Q. 突然ですか?
「遊んでいる時に、ふと、『ジュンゾウやってくれ』と言われました」


Q. そのとき、どう思いましたか?
「かなり驚きました」


Q. 原曲は知っていましたか?
「知っていました。凄くインパクトを受けていました」


Q. "Pearl Harbor"の曲のイメージやコンセプトは、制作に影響しましたか?
「かなりしました。シンゴさんから話があったときに、『いつまでにビート送れば良いですか?』って聞いたら、『明日まで』って言われて。もう一回、『いつまでにビート送れば良いですか?』って聞き直したら、『だから、明日まで』って言われて。
その後、イメージを膨らますために、『Droppin Lyrics』を見直したり、原曲を何度も聞き込んだり、真珠湾攻撃のことを調べたり、そういう作業から始めました。自分なりに、"Pearl Harbor"を表現できたと思っています」


Q. 実際のビート制作はどのようなものでしたか?
「ドラムは以前から作ってあったものを基に、今回のリミックスに使いました。でも殆どゼロの状態から創りました」


Q. Junzo君の曲作りにおいて、バンド活動や、ジャムセッションで培ってきた経験というのは、ビート創りに活かされていると思いますか?
「相当活かされていると思います。やっぱり地元の友達とセッションを行ってきた事で、ものすごく良いインスピレーションを受ける事ができたし、音楽に対して、真剣に取り組んでいこうと思ったのも、そういう音楽仲間の影響がかなり強いです」


Q. 精神面での影響の他に、演奏方法や、コード、音階などの技術面で、現在のビート制作に活かされていることはありますか?
「ベースラインを考えるときや、ドラムのプログラミング、民族楽器などのアイデアなど、楽器から得た経験は本当に役に立っていると思います」


Q. いずれは、生演奏とサンプリングを混ぜた曲作りをしていこうと思いますか?
「これから色々と試していきたいと思っています」


Q. 今後はどんな活動を予定していますか?
「今は自分のアルバムを完成させようと思っています。コンセプトは、まだ具体的には決まっていないのですが、一から曲を録りためている段階です」


Q. それは楽しみです。是非、ビートが出来たらまた聞かせて下さい。
「了解しました」


Q. 今日は長い時間ありがとうございました。色々面白い話が聞けて楽しかったです。
「ありがとうございました」


Junzo Myspace
http://www.myspace.com/j3clatter